2004.1228 下妻物語
嶽本野ばらさんは大変人気の作家らしいが、全く読んだことはなかった。若い娘でもいなければ嶽本さん原作の映画を見るチャンスはなかったと思う。幸い若い娘がいるので、この映画「下妻物語」を見ることができた。
予想をはるかに超えて面白かった。
今の若い人たちがおかれているある種の状況がうまく描かれている。全く教訓くさくなく、一人は友情に気がつき、一人は徒党を組まずに一人で立つことを知る。悲惨なことも面白おかしく描かれているが、今の若い人たちの状況は、やはり悲惨なのだろうと思う。
お勧めの映画です。

2004.1227 とらにゃん
かわいそうな野良にゃんの存在に気がついてからはなにくれとなく自宅周りのにゃんに気配りをしてくれている、ゴル友のメグちゃんのママから、あらたな依頼があったのは先月のこと。相談者はとらにゃんの男の子。人なれしている様子からもと飼い猫であったことは間違いない。
去勢してメグちゃんママのお家の廊下に小屋も作ってもらったので、この冬は暖かく越せると思う。

 
とらにゃん様。とても人懐っこい。とらにゃん様の自宅。中はあったかに工夫されている。「メグちゃんママありがとう」(とらにゃん)

2004.1219 迷い犬もみじちゃんの暮らし
愛知県で保護されている柴もしくは柴ミックスのもみじちゃんの保護主さんは、アヒルの部屋も運営中。そしてアヒルの可愛いことと、もみじちゃんのすっかりリラックスした暮らしぶりにもいたく感動してしまった。そこでお願いしてアヒルさんともみじさんのお写真を掲載する許可をいただきました。

 
明るい笑顔を見せるもみじちゃん。先住犬ともむきむきでお話する仲。
 
天使の寝顔。そしてアヒルさんとのご対面。貫禄を見せるアヒルさんと怖々のもみじちゃん。

迷い犬もみじの飼い主さんを探しています。よろしくお願いします。

 

2004.1212 涙のバザー
バザーを再び行うことになった。犬猫のために行うバザーということで、ネットのお友達から品物を供出していただいたり、助っ人に来てもらったり。またご近所の犬飼のみなさんからも品物、現金、車の運転などでお力添えをいただいた。
たくさん集まった品物を仕分けしながら値段付けをするのもまた楽しい。それを見ながら娘が古着を買い取ったりする。
当日、お天気は持つはずだった。品物をたくさんターの車に積み込んで夢をふくらませて会場に向かった。途中でApimamaも鎌倉からやってくる。
楽しくやらなくちゃね。
ところが、10時正式開店でスタートしたとたん、なにやら冷たいものが・・・そしてApimamaがコーヒーを片手に店にたったところで、ざんざんぶりになってきてしまった。撤収である。20分ほど待ったが、もやは天気の回復もみこめず、お客さんもお店も閑散としてきた。結局順延に決定。再びターの車登場。
濡れているわたし達のためにタオルまで用意してくれた。
せっかくのべりーままにいただいたお洋服がぬれてしまうし、スママのくれたかわいいアクセサリーもぬらしてはならじ。
荷物のすべてを宗村宅に預けて、わたしたちは我が家に集まってサンドイッチをほうばった。


以前、ミントハウスの掲示板で知り合い、品物を送ってくださったK.田中さん、ご住所をなくしてしまいました。
ご覧になっていらしたら、ご連絡ください。よろしくお願いします。

2004.1124 ハウルの動く城
六本木ヒルズのヴァージンシネマならネットで座席を予約できる。水曜日は映画が安いのでさっそく2枚予約。
お友達の宗村さんと行った。面白かった。
ハッピーエンドは甘甘で。声の倍賞千恵子がうまいし、キムタクも力が入りすぎていなくて良かった。
怖いいやな魔女がただのおばあさんになったとき、その魔女ののろいでおばあさんに変えられている少女が手を差し伸べる姿が、妙に現実感があった。
若かったら手を差し出すであろうか。しかもその魔女の介護までしている。婆さん力だわ。怖いはずの存在に、「あんたもわたしも婆さんだね」と声をかけられるのはやっぱり婆さんだから。自分が婆さんに近づいたせいなのか、婆さん力にやけに感動した。こんな見方をしているのは婆さんだけ?

ごはんを食べて展望台に上がって、美術展を見て、おふとんに上がって(美術展を見るとわかる)、べらべらしゃべって外にでたらもう真っ暗だった。
美術展もとってもおもしろかった。服飾に興味のある人ならなおさら面白いと思う。

 
今日はもやがかかっていて、羽田飛行場から飛び立つ飛行機や横浜は見えなかった。外にでるとツリーが光っていた。

 
今夜も月はみないとね。今夜の月もmidnightね。


2004.1123 猫にピアス
大きな三毛はちょうどシーズンが始まったところだった。もう一手遅れていたらまたもや赤ちゃんが生まれていただろう。今年の春に産まれた赤ちゃんはみんなエンドー先生に預かっていただくことができて、すべて里子に出た。みんな器量よしだったということである。
避妊手術をしてピアスをしてもらい、いつもごはんをあげているおうちのご主人に顔をみせてからそこで放した。ご主人はうれしそうだった。
ごはんを食べるところが確保されているので、頑張って力強く生きていって欲しい。


 
放す直前の三毛の顔。目が据わっている。お元気で。

2004.1122 頑丈な三毛手術を受ける
避妊手術のため、20日の日記の猫、現在入院中。その間に新宿区保健所に走り、助成金をもらう手続きをする。いつも悩むのが野良ねこなのに名前を書く欄があること。
「およねこブーニャン」と書きたい。でも書かなかった。ただ「みけ」とだけ書いた。特徴のところに「大」と書いた。

わたしをみて保健所長さんが来てくれた。友よ。
神田川上水公園の話がなかなか進まないことにご自身もいらだちをかんじている様子。
話を聞くと、同じ新宿区内の公園で公園サポーターができ、ドッグランができ、スタート時点で少しごたごたがあったものの、しだいに軌道に乗り始め、
土木課の課長さんも「うまくいった」と喜んでいたという。しかし次第にドッグランの存在がインターネットなどで広く知られるところとなり、休日には車が駐車禁止区域にずらずらと並ぶようになった。それだけではない。道からドッグランまでてんてんと拾われていないうんうんのあと。それらを管理する公園サポーターに対しても区外から来た人たちは食って掛かるようになったという。苦情の嵐とマナーの悪い区外からの訪問者、もちろん区内の問題もあって、結局ドッグランは閉鎖されてしまったのだとういう。所長さんのくやしそうな顔。わたしも苦笑するしかない。
ドッグランの前に、犬を飼う人のマナーと最低限の常識が欲しい。
日本人総無責任化を憂えるわたしの前にまた、新たなスーダラ節が聞こえてきた!!(本当はちっともおかしくない!!)

2004.1120 今抱えている案件とは・・・
野良猫さんに目覚めたメグちゃんのママのところで今、茶トラの男の子を捕獲しようとしている。大変なれているのでいつでも捕まるのだがそれが約束の土曜日になると来ないのだ。かれこれ3週間のからぶり。男の子なのであせらないが、やはり去勢しておいたほうが、ご近所の野良の女の子達にやっかいをかけないで済むだろう。
もう一つは年に確実に2回ずつお産をしている大きな大きな頑丈な三毛猫。
顔をみるとつわものぶりがわかる。女の子なのにこんなに大きいのかというほど大きい。
ほぼ1ヶ月がたち、もうあきらめの声もあがっていた。
それが今日、捕まった。不幸な子猫が生まれるのを防ぐことができる。焼け石に水だって?
でもたくさんの人たちが焼け石に水をたらし続けたら?
洪水にはならないだろうけど、石もクールダウンするのではなかろうか。
だめでもいい、できることだからする。

 

2004.1117 恥ずかしかったこと
kiyaさん(link dogs2のGOBLIN MYTH)のイギリス留学時代のお話を読んでいて、またイギリスの香りを思い出した。
今日はちょっとイギリスで恥ずかしかったことを書く。多分日本でも犬飼いのみなさんがときどき「困ったな」と感じることでもあると思う。
公園で薄日を浴びながら2頭のゴールデンを芝生に休ませて自分は読書中の中年のご夫人の話を旅行記に書いた。
実は続きがあって、わたしが犬と飼い主さんとお話をしている途中、あとからやはり同じツアーの日本人たちがやってきたのだ。
悪気はないのだが、わたしが読書のじゃまをしたお詫びを言い、おいとましようとしたその時だった。
そんな流れは知らないからみんなそれそれ2頭のゴールデンに話しかけたりさわったりしてそこに貯まってしまったのだ。しかも芝生にじっと伏せていたゴールデンのほうは後頭部に大きな手術痕があり明らかに大きな病気から立ち直りつつある様子だった。それを何か怪我をしたのか?などといろいろ聞き始めたのでわたしは逃げ出してしまった。彼女はその後もにこやかに下手くそな英語の相手をしたりいちいち説明したりしたのかと思うと申し訳ない。
恥ずかしいと思った。それにみんなで足を止めるほどゴールデンが珍しいとは思えない。日本にもゴールデンはいる。
日本人が動物好きだとアピールしようとしたのかしら。日本人の動物が好きというのも、無責任に好きなだけだから当てにならない。

日本でもお散歩していて無責任に犬を呼ぶ人、本当にかわいがりたいなら思いっきりどうぞ、と立ち止まって振り向いて待っていると、ひく。
この間後ろから呼びかけた人は「すみませんでした」と謝っていた。偉ぶるつもりではない。ゴールデンは可愛がってもらってうれしい犬種だ。
でもちょっと考えて欲しい。犬を呼べば飼い主を呼んでいるのと同じことになるのだ。心で可愛がってね。

2004.1114 エリザベス・キューブラー・ロス
この人の名前を知ったのはつい数年前のことである。久しぶりにその名前を見たのは新聞での死亡記事においてだった。
数年前にはわたしはまだ編集の仕事をしており、自らホスピス医となることを宣言した「病院で死ぬということ」という著作で有名な先生にお会いする機会を得た。
そしてその先生が師と仰いでいたのがこのエリザベス・キューブラー・ロス
という精神科医であった。
その当時、母、祖母、義理の母をすべて癌で亡くしているわたしにとって、病院で死ぬ ことは当たり前のことだった。
ホスピス病棟に入るだけで、片道切符を手にしたのと同じ心境であろうと思うと、いたたまれない気持ちだった。
しかしホスピスの理念を聞き、理解していくうちに考え方は変わった。
キューブラー・ロスは自らの死を前に何を語っただろうか。患者を主人公にした自然で尊厳ある死を迎えたに違いない。おそらく笑顔もあっただろう。
自分も自分の責任を十分果たしたのちに、尊厳と笑顔をもって人生を終わりたいと思う。

その後わたしは父も癌で亡くした。亡くなった父の書斎を片付けていたら、父の好きな画集や語学の本の間から、「病院で死ぬということ」が出てきた。
胸がつまった。