Beatlesに関する間違ったかきだし

 

 

I'm angry.
2003/01/22 10:05



このジャケット写真ではよくわからないが、前から3番目を歩くポールの右手にたばこが挟まれているのがいけないのだそうだ。歩きたばこをファンがまねするといけないので、禁煙団体が圧力をかけて、画像処理をしてたばこを消したのだそうだ。

この写真が撮られたのは1969年で、場所はビートルズファンのメッカ、アビーロードスタジオ前の歩道。キャベンディッシュのポールの自宅(現在は歴史的建物として補修保存されている)からも近く、ポールはサンダル履きに咥えたばこで撮影に加わった。
そのためサンダルを脱ぎ捨てはだしになったのだ。また現在ではポールは全くたばこを吸っていない。

アルバムは音楽のみならず、そのジャケットまでトータルにデザインされ、音楽のコンセプトを支えるひとつの作品なのだ。
それを今、コンピューター処理でたばこを消すとはアーティストにたいする侮辱ではないか。歴史をさかのぼって次々とたばこを消して回るおつもりか。



ジョンの命日
2002/12/09 00:05



1980年の12月8日はジョン・レノンの命日である。
ジョンは”もとビートルズ”とは呼ばれない場合も多い。ジョンはジョンである。
ジョンが独立したひとつのアイコンたりうるのはなぜだろう?
彼はイマジンという、静かで、シンプルなメッセージをもった作品ひとつでそれを成し遂げたのだ。

ジョンがなくなったときの報道は大変なものだった。ジョンの曲があちらでもこちらでも溢れていた。動揺しすぎておかしくなったポールのコメントはおおこけだった。ポールが悲しむ本当の姿をみたのはジョージ・マーティンとリンダだけだった。
私のショックも大きかった。しばらく寝込んでしまった。
娘の慶はその年の10月に生まれていた。
私は悲しくてビートルズもジョンもしばらく聴きたくなかった。

ヨーコさんが、テロのあとで報復に絶対反対を唱えたことを、嬉しく思う。
ジョンも必ずそうコメントしたはずだ。

ジョンが亡くなったとき本当にビートルズはなくなってしまったような気がした。
だがそれは間違いだったのだ。
もちろんもう昔のように私の青春の航路を照らすものではないが、ビートルズは結局私にとって一度も消えたことがない大きな星だ。



Paul on TV
2002/11/16 21:50


NHKのBS1でPaulを見た。
短いが中身の濃いインタビューがあった。
Paulはインタビューが多く、私もたくさん見たし、ヴィデオも持っているが、
リンダをなくし、ジョージをなくして立ち直ってからのものは初めてゆっくりと見たような気がする。
なんだか感動してしまった。
抜けた、というかさばけた、というか。
愛する人たちの死の衝撃から立ち直るにはその人の一番素敵なところを思い出す、自分だったら思い出してもらいたいと思うようなことを思い出すんだ・・・という。
ジョージが亡くなる2週間前に一人でジョージに会いに行った話も感動てきだった。手をずーっと握りながら自分がどんなにジョージを大切に思っているか、伝えることができたという。そして長い間友達だったのに手をつなぐのが、初めてだったことに気が付いたと。
そして今までいじょうにもっともっと良い曲が書きたいという。
”いつごろできそうですか”というアナウンサーの問いに
”Yesterday"と答えてお茶目に笑った。



地球と私のベジタリアン料理
2002/11/15 22:05



これはポールの亡くなった奥さん、リンダの書いたベジタリアン料理の本。
2冊持っている。絶版になるという予感があったので1冊買った後、またみかけたときに買っておいた。現在入手困難である。
リンダはもともとフォトグラファーなので写真も大変美しい。
動物たちのためにベジタリアンになり、夫と子供に充実した食生活を送らせる為に彼女が考案した、見た目も味もすばらしい料理の数々のレシピ集である。
そして家族との農場での生活や保護してきた牛、しか、羊やたくさんの動物、愛馬、愛犬、愛猫の写真。
これを読むとキッチンの窓辺でハーブを栽培し、それに水をやっているポールや、どんなに忙しくても食事を作るリンダ、後片付けを手伝うポールのようすなども書かれている。
まだベジタリアンというとほとんど変人かおかしな宗教のように見られた70年代から、がんばって動物を愛するがためにベジタリアンを貫いてきた2人の話。
いくつか私もこの本を参考にお料理を作って見た。思ったより簡単でおいしい。ベジタリアン料理のこつはふんだんにハーブを使うことかもしれない。これを翻訳した鶴田静さんの”にんにくじゃが”もよく我が家の食卓にのぼる。
60年代のヒッピイズムが行き着いた答えのひとつといえるかもしれない。



Thanks Paul for your amazing unforgettable music
2002/11/14 10:31



期待していったら期待以上だった。私はどうすればいい?
サーの称号をもらって一代限りとはいえ、イギリスで平民(?)から貴族になったポールはもう怖いものなしの余裕。それに齢60を超えた年齢のせいか、いつになく温かみを感じさせた。
曲はもちろん最高にいいし、歌がとてもうまい。手抜きのない誠実な歌。ステージでの動きにも歌にも年齢は全くかんじさせない。私もジーパンの似合う60代になりたい。日本のおじさんたちがみんなこんなに格好よかったら・・・どうなる?
初めて取り入れられたというステージでのおしゃべりを8人の通訳が瞬時に字幕にしてスクリーンにうつしだすシステム。そのシステムを利用したポールの冗談炸裂。日本語もたくさん覚えてたくさんしゃべってくれた。
アンコールででてきたときには大きな日の丸を抱えてきて応援団のように舞台で振り回した。そのとき日本人は日の丸にたいして複雑な気持ちがあることをあらためて思った。ポールにとっては自分の国を愛し誇りとともにその国旗を掲揚するのはあたりまえなのだ。だから日本人に対して敬意を払ってのことなのだ。
Comin'up、She's leaving home、Here today、Something (もちろんジョージの曲)がきけたことがとりわけうれしかった。しかもSomethingはジョージにもらったというウクレレ一本ですばらしく素敵なアレンジ版を演奏してくれた。
アンコールにはたいていYesterdayをやるので、もうこの曲で目頭を熱くすることはなかったが、2〜3曲目だったと思う、All my lovingで思わず知らず鼻がつんとしてしまった。生きてて良かった。
90になったら車椅子で歌う・・・とポール。偉い。本当にGREAT!!

新作もすてき。
この写真はウォッチカムで自分で
撮ったものだそう。
ちょっとはまっているらしい。




朝からふわふわ
2002/11/13 10:28



1993年の来日公演のときは日常の延長のまま東京ドームにでかけた。
もちろん帰りはどこをどう、歩いたのかわからないくらい音楽によっぱらって帰った。
今回は最後の日本公演といわれているからなのか、とにかく、落ち着かない。
わくわくそわそわしている。
ポール来日記念前夜祭がファンクラブの催しで10月に行われた。行かなかった。成田へお迎えという企画もあった。さすがにファンクラブは何時何分の何便でくるのか、すべての情報を把握している。そのお知らせのはがきには”外部にもらさぬように”と書かれていて、ちょっぴり優越感をもたせるようにしてあった。
今年は一人で行く。楽しみにしている自分が怖い。
日記がしばらくビートルズもしくはポールの話題に集中してしまったらごめんなさい。



鳥のように自由
2002/10/31 10:30



昨日息子が「”Sony Music Access”の古いバージョンの中にBeatlesがあった」といってヴィデオを見せてくれた。
”Free as a bird”と”Real Love”のクリップ2本続けてみると、「僕はよく知らないのになんだか胸がきゅんとなる」という。
本当だ。やっぱり私も。
しかもすでにジョンばかりではなく、ジョージも帰らぬ人となっている。
リンゴのexワイフもだいぶ前に亡くなり、ポールのexワイフもまた亡くなっている。
息子とは違った意味で胸がきゅんとなる。

でも、自分の若い時代の宝物を箱に入れるのは嫌。
古くするのは嫌だ。
だから私はいつまでも大人にならずに未完でいこう。



Beatles展
2002/09/12 23:45


ほとんど毎年どこかでビートルズ展が開かれている。そしてほとんど毎年出かける。ジョンの育ての親「ミミおばさんの家のドア」というしろものをもう何回みたことだろうか。(今回は家からはがしたドアのシリーズが3点もあった!!)ジョンがビートルズとして日本に来たときに着ていたJALのはっぴも何回みたことだろう。
いつものようにコピーバンドがビートルズソングを演奏している。うまい下手はともかく思わずくちずさむ。
売られているグッズもあいかわらず。目新しいことはなにもない。知り尽くしたビートルズのことだもの。
今年ははじめて息子と行った。新しいのはそれだけ。
家に帰ってから3CDチェンジャーに古い順にビートルズのCDをいれ、ノンストップで聴き続けた。
考えてみたら新しいことなんかあるわけがない。もうビートルズはいないのに。

またまたまたまた来る
2002/08/15 20:52



ポール・マッカートニーが4回目の来日予定。やはりうれしい。
冥土のみやげにまた観たい。
前回はハガキのデザインしている友人と2人で見に行った。
不覚にも泣けた。前のほうに座っていたサラリーマンの男の人もいきなりめがねをはずして目をぬぐっていた。それはYesterdayがはじまったのとほとんど同時であった。困る選曲。その次がミッシェルで、甘い路線で安易に盛り上げるのか、と反発しつつ目が潤んでしまった。友人は私の腕をぎゅうぎゅうきつく握り締めてなぜか何度も頷いていた。
この人はどうも格好の悪い人だ。娘を誉めすぎたり冗談がすべったりして、あげくにサーの称号をもらってしまった。テロの時はFreedomという作品をぶちあげてテロに反対した。しかしヨーコが報復に反対したのに比べて自由を手に入れるためにはアメリカを支持するという立場をとった。
「現実的ではない」「やっぱりミュージシャンはばかだ」と動物愛護やヴェジタリアン運動のときに批判を浴びたように、テロへの報復にたいしても絶対に反対の立場をとってもらいたかった。そしてマスコミに「あほだ」たたかれたほうが良かった。

それでも私は行く。もう切符はファンクラブを通じておさえてもらってある。
なぜゆくのか。冥土の土産というのは冗談。
両親が離婚し、大好きだった父ともう会えなくなり、忙しく働く母に代わって祖母に育てられていた私の人生で一番暗く辛く、学校の先生というものに強い不信感を持ったあの時期に、私はBeatlesと出会っていなかったらどうなっていただろうか。あの、ハーモニーが美しく素朴で激しい音楽に出会っていなかったら、私の人生はもっと悲惨なものになっていたと思う。
確実にBeatlesの音楽について歩いていた一時期が私にはあった。音楽大学に進もうという意志もそのころから強くなった。誰かがBeatlesをまともにとりあげなければいけないと思った。その価値があるのだから自分がやろうと思った。
格好の悪いポールを見に行く。大好きだから。