2003.1002 最低
動物の悲惨な現状から昔はいつも目をそらしていた。ここ数年それではいけないと思い直して、いろいろなことを見聞きしながら辛い現状を学んだ。でも今日は見たくない、という悪いくせがまたでてしまった。
フジTVのニュースであった。悪名高きかの国の動物園でライオンとトラ、ライオンと熊をそれぞれ一緒の檻にいれて、血みどろになるまで戦わせ、そのさまをTVで流すというものだった。
解説によればライオンはアメリカを現しているらしい。全体にライオンの負けの様相をていしていた。これ以上はいわない。これがどんなにひどいことか。

2003.1002 嬉しい報告
みなさま、以前にこちらで里親募集をした板橋区にて保護された子猫をご記憶だろうか?
極端にしっぽの短いその子猫は、手厚く保護され、ひとみちゃんと娘の厳しい面接を通った韓国の人に貰われていった。韓国の人は故国に妻子を残し、この新宿で韓国焼肉店を営み仕送りをしている。国に帰るときはどうするのか、店のどこにネコを置くのか、避妊手術はするか、などなど厳しいようで実はごく当たり前の質問ぜめにあったあと、その人は合格して子猫を手に入れたのだった。
その韓国料理店にひとみちゃんや娘を含む劇団の仲間で稽古帰りに行ってみようということになったのだ。税務署通りのドンキホーテの裏手のごちゃごちゃしたところにお店はあり、果たして子猫は・・・
むっくりと太ってなつっこく、可愛がられて幸せな顔をしてその社長に抱かれてできた。お店の奥に良い子にしていて、店長さんや従業員のアイドルとなっていた。
焼肉を運びながら店長さんは「ネコほんとうにかわいいです。ありがとうございます。」と何度もいったそうだ。社長さんのはからいでその日の食事代は猫のお礼ということで半額にしてくださったうえ、春雨いためなど好意で品数も増やしてくださったそうだ。子猫をみんなで交代に抱っこさせてもらって幸せな気持ちで帰ってきたという。
この報告を一番にすることができたのは二人だけでプチプチoff会(原宿でお食事をして六本木ヒルズでお茶)をしたApimamaだった。ママにも里親募集のリンクをはってもらっていたので本当にうれしかった。

 
保護当時わがやで撮った写真。美人さん。

2003.0928 黒ミルクとたこミルク
息子は猫に名前をつけるセンスが絶妙だ。わたしが保護する子猫たちをまとめてミルクちゃんと呼んだりしている。その例にならって、昨日から預り始めた5〜6ヶ月の黒猫兄妹のうち兄を黒ミルク(ことばの矛盾だ)、妹をたこミルク(超凶暴)と名付けた。このこたちは新宿タカシマヤ近くのビジネスホテル裏でご飯をもらっていた野良ちゃんの産んだ子だ。前に板橋猫を保護したひとみちゃんからのHELPで、わが家であずかることになった。
たこミルクは高橋家始まって以来の凶暴猫といえる。連れてきたひとみちゃんの手もなでようとした息子の手もかぎ裂きだらけになった。しかしたこミルクは一晩で貰い手のめどがついたということで別のボランティアさんのところに移動していった。馴らすのに時間がかかるだろうと思う。ああいう子は怖がりなのだ。
残った黒ミルクは鳴き通し。さて、図体が大きくお顔も今のところぱっとしないこの子、里親募集はいばらの道かもしれない。でも馴らしてよい子にしよう。トイレはもうばっちり。今まで外で兄弟と助け合って暮らしてきたのに急に家に入れられてしかもみんなと離れ離れではさみしいのも当然だ。人間に不信感をいだいてもしかたがない。黒ミルクの人生はこれからなのだ。がんばろうね。黒ミルクにフォローを入れるとしたら・・・ブス猫さんほどあとで可愛いの。これは本当。里親募集をはじめた暁にはみなさまよろしく。

 
なにもクーラーの上まで逃げなくたって良さそうなものを・・・。

 

2003.0927 おびえる犬
早朝の散歩に行く。なにごともなし。タックンのおばあちゃまからささみのおやつをいただくのもいつもと同じ。それから1時間おいて朝ごはん。ペロリ。すこしたつと今度はパパがもう一回お散歩に連れ出す。お休みの日はお散歩が1回増える。入れ替わりにわたしは岩のような肩こりをほぐすためにマッサージに行く。終わりまぎわにめずらしく出かける格好の夫が入ってきた。Sindyがおかしいという。暴れているらしい。くっついて離れないしやけにうれしそうにつきまとうのだという。あまりおかしいので帰ったら注意してくれ、と伝えに来たのだ。
とにかく家に帰ってみるとよだれをいっぱい垂らして異常に興奮した呼吸の荒いSindyがいた。確かにおかしい!!自分からお風呂場に入ったりしている。体がとても熱いので散歩が熱かったのではないかと思い、体にシャワーで水をかけてやった。しかしそんなことではいっこうに収まらないのでお腹を順番に押してみた。なんともない。4本の足もすべてチェックし、首や口の中まですべて見たがどこにもなにもない。仕方がないのでレスキューレメデイを口の中に垂らした。それが少し効いたのかわたしのとなりにダウンして、呼吸は荒いまま横たわった。
友人と待ち合わせして出かける時間が刻々と近づいてきたので息子に「万が一ピスピス鳴いたらすぐにエンドー先生に連れて行って状態を話してね」と頼む。頼みながら断って家にいようか、と逡巡する。
とりあえず2階に上がってきがえを始めるとややあってから階段を上がってきた。と、同時にパーンとピストルの音。音はすぐ前の小学校の校庭からだ。今日は地域の人たちの運動会をやっているのだ。またパーン!!

すると音のしたほうを凝視し、泣き出しそうな顔でわたしをじっと見る。それから尻尾を振りながら体を密着させてきた。
「わかった、これだ。」去年くらいからそれまで平気だったピストルやカミナリを怖がるようになったんだった。そうか、これが怖かったんだね。よしよし、大丈夫だよ。
息子に今度はなるべく一緒にいてやるように頼んだ。2階におびえるSindyを残してわたしはでかけた。
Sindyが不憫に思われて久しぶりにおみやげにリンゴの形をしたかわいいラテックスのおもちゃを買って帰った。運動会はもう終わっていた。ひとしきり喜んで遊ぶSindyをみて心がなごみ、2階にあがるとたたみのうえにSindyのおしっこがしてあった。

 
 
今日はとっても怖かったけどオモチャをゲットしちゃったぁ。オシッコも垂れちゃったぁ。(Sindy談)

2003.0922 無理な体勢

 
 
 

2003.0917 ジョアン・ジルベルトに化かされる
ブラジルの音楽を語るのにジョアン・ジルベルト以前と以降に分けられるとまで言われている、西洋音楽でいえばドビュッシーのような人だ。神様とも呼ばれている。息子と二人東京国際フォーラムのロビーで軽食をとって待つこと約1時間40分。7時になってカイエンかと思いきや、やけに取り澄ましたお姉さんの声が無情にも告げた。「アーティストはまだホテルにいる」と・・・。拍手と静かな笑い声。その後順次場内アナウンスで「こちらにむかっている」「到着して準備をしている」「もう少々お待ちを」と案内がある。そして必ず英語で「We apoligize for the delay.」と付け加えるのでしまいにお姉さんと唱和していた。
8時5分になってようやく72歳の神様が登場した。もう姿を見るまでは音楽が聴けるかどうか信用していなかったのでうれしかった。それからは会場にいながらにしてほんのり汗ばむ程度にエアコンをかけた真夏の部屋の昼下りのベッドのなかにいるのと同じ。途中ポルトガル語と英語の「excuse me」のほかは言葉がまるでわからないのでふと「音楽に国境はある」という恩師の言葉を思い出していた。こんなときに思い出すなんて無粋だと思いつつ。
『コルコバド』まで一気。ここからあとはアンコールなのか第二部なのか。ところが1曲演奏のあとじっと固まってギターを抱いたダンゴ虫のようになって動かない!!いったいどうしたんだジョアン。
会場にいるのはこの日を待ちに待ったジョアンへのリスペクトに溢れた人たちばかりだから、拍手はなりやまない。5分、10分、15分、20分・・・。ようやくスタッフがでてきて固まったジョアンに声をかけるとやおら動き出した。
「ありがとう」「ありがとうジャポネ」これでまた大歓声である。横浜でもほとんどこれと同じ光景がみられたとしたらこれは演出なのか休憩の変形なのか。
しかしそのあとの怒涛のような音楽!!ギター一本と体一つで舞台に出てきて、その声と手でわたしたちを遠くに運んでくれる。『Desafinado』『Coracao Vagabundo』『Chego de Saudade』・・・などなど胸きゅんなナンバーが続く。最後の最後、本当にこれが最後というアンコール曲は『イパネマ』であった。わたしも息子も気がつけば立ち上がって拍手していた。場内は殆どスタンディング。こんなにたっぷり生のジョアンを聴けたらもう何もいうことはない。少し興奮して息子と話しながら歩く有楽町はすでに12時近くになっていた。

  

2003.0915 7年目の不仲
4丁目の床屋さんのリキちゃんとは昔から相性が良くない。リキちゃんに後ろ足を噛まれたのはまる6年前。怒って倍返しにするSindyの顔の怖かったこと!!しばらくはリキちゃんに焼きを入れた女と呼ばれてもいたしかたなかった。今日は本当に久しぶりにそのリキちゃんに会った。あいかわらずSindyをみてガルルルル〜である。
「リキちゃん幾つになったんだっけ?」
「もうじき15」
「ええ?Sindyがもうすぐ7歳だから倍以上ね。元気ねぇ、あいかわらずガルガルじゃない。」(Sindyはいやがってそっぽを向いている)
「それが口だけでさぁ。歩くときはもうよたよたのおばあさんだよ。」
脳裏には、年をとって体がままならないのにいつまでも口だけ達者なちょっとユーモラスなお年寄りの姿がうかんだ。
「でもその気力がないとねぇ。15になるとは思えないね。」
「それはまちがいないんだよ。だって俺この子を飼うときに50だったから15まで生きたとしても俺が65歳でよし、充分面倒がみてやれるなって計算したんだもん。」
「えらいなぁ。リキちゃんガルガルいっている場合じゃないよ。今の聞いた?幸せなのよ、リキちゃん。」
するとリキちゃんのお父さんが
「Sindyも真っ白になったね、顔。」
続けてお母さんも
「若いときから白かったけどもう今は白髪で真っ白だね。」

確かに真っ白になった。真っ白になったら今までより目が大きく見えてより可愛い。それから6歳くらいから加速度的に人間との対話が濃くなってきたような気がする。わかりあえているという感触がどんどん強くなる。もっと理解しあえるのは本当にこれからかもしれない。もっと大事な存在になってくるのは確実だ。
お互いに元気でがんばろうね、とリキちゃんと別れた。

 

2003.0914 お食事会
犬仲間がしょっちゅう集っているのではないかという疑惑があるとしたらそれは本当だ。いつも何か食べているのではないかとお疑いの方がいらしたとしても否定はしない。西新宿の高層ビルの一角で魚ちゃんご推薦の音音(おとおと)で和食をいただく。建物が良い。かつてはステーキハウスであったりデニーズであったりしたが今は和食屋さんである。窓の外がいい。新宿とは思えない緑がある。
もちろん仲間がいい。だからご飯がよりおいしくなるし、笑っているうちにどんどん消化してしまう。楽しすぎてごちそうの写真をとるのを忘れた。だからデザートだけ。
外に出ると気温こそ真夏の暑さだが、空は秋模様をていしていた。少しだけ吹いてきた風の中にほんのり秋色が混じっていた。




自分の食べたデザートは豆乳のムース黄な粉ソースがけだったと思う。

2003.0912 手術
ジュリアンがなくなった日の午後、Sindyは左上まぶたの内側にできた小さな腫瘍を切ることになっていた。3度目である。麻酔なしでレーザーメスで焼ききる手術をしてきた。まぶたの裏側の奥のほうに根があるので何度も再発してしまう。Sindyもいやがって暴れるのでいつも4人がかりでおさえこむ。さて今回はどうするか。先に腫瘍を切ってしまい、根だけをレーザーで焼こうということになった。それから寝かせるとかえって暴れるので手術室の床にお座りさせてなにげなく切ってしまおうということにした。麻酔はしたくないので切る前に小さな保冷剤でまぶたを感覚がなくなるくらいまで冷やすことにした。2階の手術室でSindyの顔を抱きながらまぶたを冷やす。
あがったところにはへその緒がとれたばかりのような子猫がペットヒーターの上にもぞもぞと3匹ほど動いている。ほかになんらかの理由で隔離されているらしい黒い猫と、まだ1〜2ヶ月の茶トラとミケの3匹の兄弟。先生またたくさん抱えているんだなぁと思う。繁殖シーズンはいつもこうなのだ。
まぶたをぎんぎんに冷やして訳がわからなくなったところで、腫瘍が切り取られた。やはり手術台に乗せなかったことが、緊張感を和らげたようだ。レーザーはだましだまし使った。休憩のほうが長いね、と笑われながらもいままでのなかでは一番がまんできたと思う。レーザーで焼いたあとのかさぶたが眼球を傷つけないで済むぎりぎりのところまでで手術は終わりになった。もちろん麻酔をしてまぶたの内側を3角形にきりとる方法もあるが、3ミリ以上は切れないらしい。まぶたの形が変わってしまうからだ。
ついでながら今回手術の前にバッチフラワーレメディを使った。それでずいぶん、恐怖心からくるパニックのような症状がおさえられたと思う。

手術の後はクーラーの下で夕方までくっつり寝たワン

2003.0911 ジュリアン
今日の午前中にジュリアンが亡くなった。今朝7時ころにお散歩で会って、なでなでさせてもらったばかりだったのに・・・。平成元年の2月生まれで今年14歳7ヶ月。アイリッシュセッターの男の子だった。
何度かあやぶまれたときがあったがそのたびに乗り越えてきた。冬を越えよう、お誕生日を迎えよう、夏を乗り切ろう・・・。涼しい夏でよかったと思っていたら急に暑くなった。
でもなくなる今日の朝ごはんもきちんと食べてゆっくりお昼ねをしながらおそらく、急性心不全であったと思う。連絡をいただきながら今朝なでたばかりのジュリアンのやせた頭蓋骨の感触が手のひらによみがえってきた。
やせさらばえてはいたが最後まで毛並みの美しい優美さのある犬だった。お父さんはたまたま山におでかけでいない間のできごと。友人はドライアイスを買うために車を走らせ、わたしはてもとにある保冷財と花をかかえてたったひとり、ジュリアンとむかいあっているお母さんのもとへ走った。玄関で目を合わせるとお互いにことばもなく、ただ大粒の涙がこぼれた。

 

2003.0909 枝事件
わたしは友人からいただいた巨峰(ぶどう)を食べかけていたのだがちょっと2階へ上がる用を思い出して、ぶどうをテーブルに残したまま上に上がった。上がったら上がったで、あれもこれもと仕事をみつけてしまい、取りこんだ洗濯物をたたんだりしているうちにぶどうのことはすっかり忘れてしまった。一仕事おえてすっきりとした気持ちで下の部屋にもどるとテーブルの上にはぶどうの枝だけがある。実はひとつもない。
「あら、わたしさっきぶどう全部食べたんだっけ。なんか残っていたと思ったんだけど気のせいか。」いや、気のせいではない。なぜなら傍においてあった皮をだすためのうつわにてんこ盛りになっていたはずの皮もない。
Sindyはというとわたしが上にあがったときと同じ位置で同じかっこうで寝ている。そのいかにも「何も知りません」というアピールに笑った。皮まで食べるのはSindyしかいないでしょう?
翌々日の朝のうん●のきれいだったこと!!紫ミックスだった。

2003.0907 セミナー
今日はまた久しぶりに本村先生の生食関連のセミナーがあった。毎回楽しみにしているセミナーである。お話はためになるし先生は楽しい方だしメモをとるのももどかしいくらい。集まっている人たちもみんな研究熱心で、質問タイムにも鋭い質問がとびかう。今までに受けたサプリメントのセミナーやペットフードと手作りごはんのセミナーのレポートをアップしなければ、しなければ、と思いながら、なかなかできないでいた。ひとつには内容が濃いためまとめるのに力量がもとめられること。もうひとつは責任の問題である。
このHPはありがたいことに「わんのホームページ」のわんと食事(本村先生を紹介しているページ)のコーナーでリンクしていただいている。著作権の問題があるので先生の作られたビタミンやミネラルの表については出版社に問い合わせて許可をいただき、著作権表示のもとで掲載させていただく許可をもらった。それでもなお、先生のセミナーをレポートしてただのせるのにはためらいがあった。それでアップせずにぐずぐずしていたら今回のセミナーでは先生のほうから「ホームページへの無断転載、複写を禁じます」というコメントがあった。セミナーを受けた人の話を聞いた人が本来医師の処方箋が必要なホメオパシーについて安易な使用をすすめるかのような書き込みをある掲示板でしていたというものだった。それは犬にとっても飼い主さんにとっても、大変危険なことなのだ。情報が不正確に伝わることを恐れてのお話であったと思う。もちろん丸写しや無断転載はもってのほかである。あらためてwebというものについて考えさせられた。情報を発信するということはとても責任を伴うことなのである。
しかし、独り占めしたくない情報あり。ジレンマ。なにか形を考えてみようと思う。ごはんマニアを全部見直してみてもよいかもしれない。
それにしても脱水症状のみわけかたを教わっていたとき自分の皮膚をおしてみて、もどりが悪いので驚いた。それは脱水ではなく老化であった。

  

2003.0904 朝の散歩
暑い間は朝早く散歩にでるようにする。すがすがしい朝の空気を吸えるのはほんのちょっとの間ですぐににごった都会の生暖かい空気にとってかわられてしまう。
公園にはたくさんのお友達がきている。日々新しい子犬が加わったりして犬社会もけっこうあいさつまわりが大変だ。Sindyは弱虫でけんか早いので、初お目見えの子がくるときが一番緊張する。最近年をとったのか、小さな子にはやさしくなった。大型犬の大人にはまだまだ負けてはいられないという見栄っぱりぶりを発揮するが。なかにはほとんどSindyの付き人と化しているわんこもいる。ジャムちゃんとタックンはその代表か。



Sindyはこのあとタックンをふりはらうため爆走状態になった。